「なんで私は弟みたいにできないんだろう。」
私には二つ下の弟がいます。弟は昔から勉強が得意で、特に理数系が大好きでした。一方の私はというと、勉強が大の苦手。中学校の中間テストや期末テストでは、学年順位も下から数えたほうが早いくらいでした。
高校受験のために通っていた塾では、数学の授業中に先生へこんな質問をしたこともあります。
「この数式って、将来何かの役に立つんですか?」
当時の私は、本気でそう思っていました。勉強をする意味が、まったく分からなかったのです。
比べられることが当たり前だった
母はよくこんな話をしていました。
「近所の○○さんの娘さんはレベルの高い高校に受かったんだって。」 「あなたも頑張ればいいのに。」 「近くに看護学校があるから、看護師を目指しなさい。看護師は男性並みにお給料がもらえるから、人生安泰よ。」
学生時代、この言葉を何度聞いたか分かりません。悪気があったわけではないのだと思います。きっと私の将来を心配して言ってくれていたのでしょう。
でも、子どもだった私には、
「今の私はダメなんだ。」
「もっと頑張らないと認めてもらえないんだ。」
そんなふうに聞こえていました。
弟と比べられ、近所の子と比べられ・・・。
いつの間にか、他人と比べてしまうことが私にとって当たり前になっていました。
その頃の私は、「自己肯定感」という言葉すら知りませんでした。それでも今振り返ると、自分の良いところを見るよりも、足りないところばかり探していたように思います。
大人になって気づいたこと
大人になってから、私はずっと諦めていたピアノにもう一度挑戦しました。
「今さら始めても遅いかな。」 「もっと上手な人はいくらでもいる。」
そんな気持ちもありました。それでも、弾きたいという気持ちのほうが大きかったのです。誰かに勝つためではなく、自分が楽しむために。
少しずつ練習を重ね、好きな曲に挑戦し、演奏会にも出演するようになりました。ブログを書き始めたのも、noteを書き始めたのも同じです。
「誰かより上手くなりたい。」
そう思って始めたわけではありません。ただ、自分が伝えたいことを、自分の言葉で届けたい。その気持ちだけで続けてきました。
そして、ある日ふと気づいたのです。
「あれ? 最近、誰かと比べてない。」
昔は、誰かの成績。誰かの仕事。誰かの収入。誰かの人生。いつも何かと比べて、自分に足りないものばかり探していました。
でも今は違います。
昨日より一曲弾けるようになった。
昨日より一記事書けた。
昨日より一歩前へ進めた。
それだけで十分嬉しいと思えるようになっていました。そのことに気づいた瞬間、心がふっと軽くなったのを今でも覚えています。
あの頃より少しだけ、自分を認められるようになりました。それが、私にとっての自己肯定感なのかもしれません。
比べる相手は、昨日の自分でいい
誰かと比べることは、悪いことではないのかもしれません。でも、誰かの人生は歩けません。歩けるのは、自分の人生だけです。
だから私は、もう他の誰かと比べるのをやめました。比べるなら、昨日の自分。
昨日より少しでも前へ進めたなら、それは立派な成長です。
人それぞれ、咲くタイミングは違います。だから焦らなくていい。自分らしく生きることに、遅すぎるなんてありません。
あなたは、あなたのペースで歩いていけばいい。
私もこれからは、昨日の自分よりほんの少し前へ進めるように、一歩ずつ歩いていこうと思います。


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