先日、佐藤愛子さんのベストセラーエッセイを題材にした映画『九十歳。何がめでたい』を観ました。
以前から気になっていた作品だったものの、なかなか観る機会がなく、「そういえば、まだ観てなかったな」と、特に深い理由もなく再生してみたのがきっかけです。
ところが、いざ観始めてみると、これがなかなか面白い。
90歳を迎えた作家・佐藤愛子さんの歯に衣着せぬ言葉や、年齢を重ねることへの本音がユーモアたっぷりに描かれていて、最後まで楽しく観ることができました。
映画を観終わったあとに気になったのが、原作の『九十歳。何がめでたい』です。
「映画も面白かったけれど、佐藤愛子さん本人の言葉で書かれた原作はどんな内容なんだろう?」
そんな興味が湧き、Audible(オーディブル)でも原作を聴いてみることにしました。
そして作品に触れながら、ふと疑問に思ったことがあります。
なぜ、佐藤愛子さんの本はこれほど多くの人に読まれ、支持されているのだろう?
『九十歳。何がめでたい』はベストセラーとなり、のちに映画化されるほど多くの人に届いた作品です。
今回は、映画と原作に触れたことをきっかけに、佐藤愛子さんの言葉がなぜ多くの読者の心をつかんだのか、その理由について考えてみたいと思います。
『九十歳。何がめでたい』とは?
『九十歳。何がめでたい』は、作家・佐藤愛子さんによるエッセイ集です。
一度は「書くべきことは書き尽くした」と断筆を決めた佐藤さんが、雑誌『女性セブン』からの依頼をきっかけに再び筆を執り、約1年間連載したエッセイがもとになっています。
本の中で語られるのは、自身の老い、世の中への違和感、日常で感じる怒りやぼやきなど。
「90歳を過ぎたら穏やかに余生を過ごす」
そんなイメージとは、かなり違います。
老いを必要以上に美化することもなければ、無理に前向きに捉えようとするわけでもない。
思ったことをズバッと言葉にしてしまう。
その潔さこそが、この作品の大きな魅力なのだと思います。
原作はAudibleでも聴ける
映画を観たあと、私も原作が気になってAudibleで聴いてみました。
映画から作品を知った人なら、今度は佐藤愛子さん自身の文章に触れてみると、また違った面白さを感じられると思います。
本を読む時間をなかなか作れない人でも、音声なら家事や移動などをしながら作品を楽しめるのもAudibleの便利なところです。
『九十歳。何がめでたい』はなぜ売れたのか
『九十歳。何がめでたい』は2016年に刊行され、その後100万部を突破するベストセラーとなりました。
さらに2017年には年間ベストセラー総合1位を獲得。
なぜ、一冊のエッセイがこれほど多くの人に読まれたのでしょうか。
調べていくと、いくつもの理由が見えてきました。
思わず気になるタイトル
まず目を引くのが、
『九十歳。何がめでたい』
というタイトルです。
90歳と聞けば、「長寿」「おめでたい」といった言葉を思い浮かべる人も多いでしょう。
ところが、その常識にいきなり「何がめでたい」と返してしまう。
タイトルを見ただけで、
「どういう意味なんだろう?」
「90歳の作家が、なぜこんなことを言っているんだろう?」
と気になってしまいます。
ブログを書いている私自身、このタイトルから学べることは多いと感じました。
文章の内容がどれほど良くても、まず「読んでみたい」と思ってもらえなければ届きません。
『九十歳。何がめでたい』は、その入口から読者の興味をつかんでいたのではないでしょうか。
言いたくても言えないことを代弁してくれる
もうひとつ大きいと感じたのが、佐藤愛子さんの率直な言葉です。
私たちは日常生活の中で、何かに違和感を覚えても、
「こんなことを言ったら嫌われるかな」
「周りからどう思われるだろう」
と考えて、本音を飲み込むことがあります。
SNSが当たり前になった今なら、なおさらかもしれません。
ところが佐藤さんは、世の中への疑問も老いへの不満も、遠慮せず言葉にします。
その姿を見て、
「そうそう、私もそれを言いたかった」
と感じた人がたくさんいたのではないでしょうか。
人は、新しい情報だけを求めて文章を読むわけではありません。
自分でもうまく言葉にできなかった感情を、誰かが代わりに言葉にしてくれる。そんなときにも、人は強く心を動かされるのだと思います。
老いを「きれいごと」にしない面白さ
老後や高齢化というテーマには、病気、介護、孤独など、どうしても重たいイメージがつきまといます。
ところが佐藤さんは、老いることで起こる不便や苛立ちを隠しません。
だからといって、ただ暗いわけでもない。
怒ったり、ぼやいたりしながら、それを笑いへと変えてしまいます。
「年齢を重ねても、いつも穏やかで立派な人間でいなくてもいい」
そんな人間臭さがあるからこそ、読んでいる側も肩の力が抜けるのかもしれません。
実際、この本には高齢者だけでなく、親世代を持つ人や若い世代からも多くの反響が寄せられました。
「老いについて書いた本」でありながら、特定の年代だけに閉じなかったことも、大きな支持につながったのだと思います。
時代が佐藤愛子さんの言葉を求めていたのかもしれない
今回調べていて、特に印象に残ったことがあります。
佐藤愛子さん自身も、この本がなぜこれほど売れたのかについて語っています。昔から同じように好きなことを書いてきたのに、以前なら反感を買うこともあった言葉が、時代が変わって「勇気」として受け取られるようになった――という趣旨のことをおっしゃっています。
これって、とても興味深い話だと思いました。
佐藤さんがベストセラーを狙って突然書き方を変えたわけではない。
時代のほうが、佐藤愛子さんの言葉を求めるようになった。
そう考えることもできるのではないでしょうか。
周囲の目を気にして、本音を口にしづらい。
正解を探しすぎて疲れてしまう。
そんな人たちにとって、90歳を超えた作家が遠慮なく放つ言葉は、痛快であり、どこか救いにもなったのかもしれません。
「売れる文章」について考えさせられた
今回、映画『九十歳。何がめでたい』を観たことから始まり、原作にも触れ、なぜこの作品が売れたのかを調べてみました。
そこで私自身、ブログを書く立場として考えさせられたことがあります。
それは、
読まれる文章は、情報がたくさん書かれている文章だけではない
ということです。
読者が抱えている悩みや違和感。
言葉にできなかった気持ち。
「私もそう思っていた」と感じられる本音。
そうしたものを言葉にできることも、人の心を動かす文章には必要なのだと思います。
そして、もうひとつ。
『九十歳。何がめでたい』というタイトルを見ても分かるように、どれほど良い文章を書いても、まず興味を持ってもらえなければ読んでもらえません。
「誰に、何を届けたいのか」
「その人は、どんな言葉なら続きを読みたくなるのか」
ブログを書くときにも、この視点を忘れないようにしたいと思いました。
まとめ|佐藤愛子さんの言葉が支持される理由
『九十歳。何がめでたい』が多くの人に支持された背景には、印象的なタイトルや佐藤愛子さん自身の知名度だけでなく、読者の心にある「言いたくても言えない本音」を代わりに言葉にしてくれる魅力があったのではないでしょうか。
老いを美化することも、人生を必要以上に前向きに語ることもない。
怒るときは怒り、笑うときは笑う。
そんな佐藤愛子さんの言葉だからこそ、年代を超えて多くの人の心に届いたのだと思います。
私は映画を観たことがきっかけでしたが、原作に触れてみると、映画とはまた違った形で佐藤愛子さん自身の言葉を楽しむことができました。
映画『九十歳。何がめでたい』を観て原作が気になった方や、佐藤愛子さんの文章に触れてみたい方は、Audibleで聴いてみるのもひとつの方法です。
今回、何気なく一本の映画を観たことから、「なぜ佐藤愛子さんの本はこんなに売れるんだろう?」という疑問が生まれました。
そして調べていくうちに気づいたのは、人の心を動かすのは、きれいに整えられた言葉だけではないということ。
誰かが心の中にしまっていた本音や、うまく言葉にできなかった気持ちを、代わりに言葉にする。
そこに「私もそう思っていた」と感じる人がいれば、その言葉は誰かの心に残り、また次の誰かへと届いていくのかもしれません。
私も文章を書くひとりとして、上手に書くことばかりを考えるのではなく、自分が本当に感じたことを、自分の言葉で伝えること。
そんな当たり前のことを、これからも大切にしていきたいと思いました。


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