毎年、この時期になると戦争について考える
8月15日、今日は終戦の日です。
私は戦争を知らない世代ですが、なぜか毎年この時期になると、テレビで放送される戦争にまつわる特集や番組を見てしまいます。
普段から戦争について深く考えているわけではありません。それでも8月が近づき、広島や長崎への原爆投下、そして終戦の日に関する報道を目にするようになると、自然とテレビに目が向くのです。
「どうして私は、毎年見てしまうんだろう?」
改めて考えてみると、その理由のひとつは、子どもの頃に母から聞いた祖父母の話にあるのかもしれません。
子どもの頃に聞いた、祖父母の戦争の話
母方の祖父と祖母は、戦争の時代を実際に生きた人たちです。
子どもの頃に母から聞いた話なので記憶が曖昧な部分もありますが、祖父母は四国から満州へ渡ったそうです。そして祖父は戦争へ行き、銃弾で手首を負傷しながらも、なんとか生きて帰ってきたと聞きました。
当時の私は、その話を聞いても「戦争って怖いんだな」というくらいにしか理解できていなかったように思います。けれど大人になった今、その意味はまったく違って感じられます。
もし祖父が戦争から帰ってこられなかったら——その後に母が生まれることはなく、当然、今の私もここにはいません。
教科書の中の出来事のように感じてしまう戦争も、私の家族が実際に経験した出来事だったのだと思うと、決して自分と無関係なものではないのだと感じます。
偶然観た『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』
そして今年は、偶然にもこの時期に戦争を題材にした映画を観ました。『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』です。
現在上映されている続編を観る前に前作を観ておこうと、DVDを借りてきたことがきっかけでした。
現代を生きる少女が戦時中の日本へタイムスリップし、特攻隊員の青年と出会う物語。切なくて胸が苦しくなる場面もあり、たくさん泣きました。
もちろん映画は物語です。それでも観ながら、「もし自分が、この時代に生まれていたら?」と、何度も考えさせられました。
今の私たちにとっての「当たり前」
今の私は、明日の予定を当たり前のように考えています。行きたい場所へ出かけたり、好きなものを食べたり、好きな音楽を聴いたり。これからどんな仕事をしたいのか、どんな人生を送りたいのかを考えることもできます。好きな人と一緒に過ごすことも、自分の気持ちを言葉にして伝えることもできる。
私たちは、そんな毎日を「普通の日常」として生きています。けれど戦争の時代を生きた人たちにとって、それは決して当たり前ではなかったはずです。自分の意思とは関係なく大切な人と離れなければならず、生きて帰ってくることさえ約束されていない。そんな時代が、ほんの80年ほど前の日本には実際にありました。
そう考えると、今の自分が悩んだり迷ったりしながらも「これから、どう生きよう?」と考えられること自体が、とても幸せなことなのかもしれません。
戦争を知らない私にできること
私は戦争を経験していません。だから、実際に戦争を経験した人の苦しみや恐怖を、本当の意味で理解することはできないと思います。戦争について詳しいわけでもありません。
だからこそ、分かったようなことを語るのではなく、まずは知ろうとすることを忘れないでいたいと思います。テレビの特集を見ること。映画や本を通して、その時代を知ること。そして、家族から聞いた話を忘れないこと。
そんな小さなことでも、戦争を知らない世代が記憶をつないでいくことには、意味があるのではないでしょうか。
8月15日に思うこと
好きな音楽を聴けること。行きたい場所へ行けること。大切な人と笑えること。そして、明日のことを考えられること。
普段は何気なく過ごしている毎日ですが、今日くらいは、そのひとつひとつを大切に感じていたいと思います。
戦争を知らない私だからこそ、忘れないようにしたい。今ある平和な日常は、決して最初から当たり前に存在していたものではないということを。
8月15日。 今ある当たり前の日常が、決して当たり前ではないことを、忘れないでいたい。


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